源氏と平氏の争いは○○が1番大事
こんにちは
今回のテーマは
平氏が栄華を極める
きっかけとなった
3年間で
立て続けに起こった
二つの戦ですが
その違いを
説明できますか?
また、
かなり多くの人物が
登場しますが、
正確に覚えていますか?
人物があやふやだと
入試で確実に
痛い目にあいます
この記事を読むと
1番ややこしい
人物関係が
完璧になります!
逆に読まないと
いつまでも
混乱したままです
今ここで
完璧にしましょう!
それではみて行きましょう
この乱は、
皇位・摂関位の
継承をめぐって起きました
それぞれ
戦が行われました
具体的な人物をおさえましょう
まずは天皇方です
皇室: 後白河
藤原氏: 忠道
平氏: 清盛
源氏: 義朝
ついで上皇方です
皇室: 崇徳
藤原氏: 頼長
平氏: 忠正
源氏: 為義・為朝
この戦いは
後白河天皇方が
崇徳上皇方を
襲ったことで開戦しました
結果は
天皇方の勝利に終わります
頼長・忠正・為義は
命を落とし
崇徳は讃岐へ
為朝は伊豆大島へ配流に
この戦いは
貴族社会の争いを
武士の力で解決したという
歴史的意義があります
この戦いは
後白河の近臣の争いと
本格的な源平の争いとです
具体的な人物は以下です
院近臣の藤原氏である
通憲(信西)と信頼が
対立します
通憲側に
平清盛・重盛・頼盛が
信頼側に
源義朝・義平・頼朝が
以上の構図となります
平清盛が熊野詣で不在時に
信頼・義朝が挙兵し
開戦しました
結果は
通憲・平氏側の勝利
敗れた信頼側は
信頼・義朝・義平は
命を落としました
しかし、
頼朝だけは伊豆に配流され
命は助かりました
このことが
後の歴史に
大きく影響したことは
言うまでもありません
この乱の結果
武家の棟梁としての
平清盛の
地位と権力が高まりました
いかがでしたか?
まずはとにかく
人物をおさえましょう
誰が、どちらの側なのか?
この部分がかなり
混乱しやすくなっています
つまり、
入試で出題される可能性が
大いにあるでしょう
入試で焦らないために
今すぐこの記事を保存しましょう
そして、
ノートに人物関係を
図で表してみましょう
入試直前まで
後回しにしても、
絶対に間に合いません
必ず今すぐ
行動しましょう!
行動をした者だけが
合格を勝ち取ります
最後までご覧頂き
ありがとうございました