日本史アドバイザー@そうた

高3夏まで部活漬けで全く勉強してなかった僕が、3か月で日本史の偏差値を55→76まで上げた経験をもとに日本史のアドバイスをしています

源氏と平氏の争いは○○が1番大事

こんにちは

 

今回のテーマは

平氏が栄華を極める

きっかけとなった

保元の乱平治の乱

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3年間で

立て続けに起こった

二つの戦ですが

 

その違い

説明できますか?

 

また、

かなり多くの人物が

登場しますが、

正確に覚えていますか?

 

人物があやふやだと

入試で確実に

痛い目にあいます

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この記事を読むと

1番ややこしい

人物関係が

完璧になります!

 

逆に読まないと

いつまでも

混乱したままです

 

今ここで

完璧にしましょう!

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それではみて行きましょう

 

保元の乱

この乱は、

皇位・摂関位の

継承をめぐって起きました

 

皇室・藤原氏平氏・源氏が

それぞれ

天皇上皇に分かれて

戦が行われました

 

具体的な人物をおさえましょう

 

まずは天皇です

 

皇室:    後白河

藤原氏: 忠道

平氏:     清盛

源氏:     義朝

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ついで上皇です

 

皇室:       崇徳

藤原氏:    頼長

平氏:       忠正

源氏:       為義・為朝

 

この戦いは

後白河天皇方が

崇徳上皇方を

襲ったことで開戦しました

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結果は

天皇方の勝利に終わります

 

頼長・忠正・為義は

命を落とし

崇徳讃岐

為朝伊豆大島へ配流に

 

この戦いは

貴族社会の争いを

武士の力で解決したという

歴史的意義があります

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平治の乱

この戦いは

後白河の近臣の争いと

本格的な源平の争いとです

 

具体的な人物は以下です

 

院近臣の藤原氏である

通憲(信西)信頼

対立します

 

通憲側に

平清盛・重盛・頼盛

 

信頼側に

源義朝・義平・頼朝

 

以上の構図となります

 

平清盛が熊野詣で不在時に

信頼・義朝が挙兵

開戦しました

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結果は

通憲・平氏側の勝利

 

敗れた信頼側は

信頼・義朝・義平は

命を落としました

 

しかし、

頼朝だけは伊豆に配流され

命は助かりました

 

このことが

後の歴史に

大きく影響したことは

言うまでもありません

 

この乱の結果

武家の棟梁としての

平清盛

地位と権力が高まりました

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いかがでしたか?

 

まずはとにかく

人物をおさえましょう

 

誰が、どちらの側なのか?

この部分がかなり

混乱しやすくなっています

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つまり、

入試で出題される可能性

大いにあるでしょう

 

入試で焦らないために

今すぐこの記事を保存しましょう

 

そして、

ノートに人物関係を

図で表してみましょう

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入試直前まで

後回しにしても、

絶対に間に合いません

 

必ず今すぐ

行動しましょう!

 

行動をした者だけが

合格を勝ち取ります

 

最後までご覧頂き

ありがとうございました